佐々木朗希選手が話題になっていますね。
幼少期に東日本大震災で父親と祖父母を亡くし、残された家族と支え合ってきた苦労人なんです。
母親は生命保険会社の営業をしながら女手一つで兄弟3人を育て上げました。
今回は、佐々木朗希選手の母親の職業や、父親、兄弟など家族構成や生い立ちをまとめました。
佐々木朗希の母親は住友生命の営業?

母親:佐々木陽子さん(51歳前後)
職業:生命保険の営業
朗希さんの母親である陽子さんは、震災前から生命保険関係の仕事をしています。
功太さんは葬儀店に勤め、母の陽子さんも保険関係の仕事をしていた。
日刊ゲンダイ

お母さん、仕事できそう!
営業成績よさそうね!
会社名については、住友生命ではないかと言われていますが定かではありません。
母親のエピソード① 震災後は大船度へ
自宅と一家の大黒柱を失った朗希さん兄弟は、老人ホームでの避難所生活を経て、母親と共に親族のいる大船渡市に引越し、猪川小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅に移住しました。
練習や試合にはいつも陽子さんが送り迎え。
お弁当はご飯3合分の愛情弁当を毎日持たせてくれました。
息子は3人とも野球をやっていて育ちざかりだったため、1週間で米10kgを消費。
女手一つで育ててもらったことについて朗希さんは
こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っている。本当に感謝している
東京新聞
と語っています。
小学校4年生の時の母の日には、100円ショップでハンカチをプレゼント。
100円だから喜んでくれないかと思いましたが、陽子さんはとても喜んでくれたそう。
このことから朗希さんは、プレゼントは値段じゃなく気持ちが大切だと学びました。
母親のエピソード② ウィニングボールをプレゼント
2021年5月27日の阪神タイガース戦(甲子園)でプロ初勝利を挙げた佐々木朗希投手のヒーローインタビュー。
ウィニングボールを誰に渡すかと質問され
両親に渡したいと思います
陽子さんは
『両親にプレゼントします』と言ってくれた事がうれしくてうれしくて号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかったです。本当に嬉しい一日となりました
文春オンライン



優しい子に育ったのは母親にとって最大の喜びね!
佐々木朗希の父の職業?エピソードも!


父親:佐々木功太さん(享年37歳)
職業:葬儀関係
佐々木朗希選手の父親である功太さんは、人生の最期の儀式を執り行う葬儀関係の仕事をしていました。
地元の町内会では夏祭りなどの行事に積極的に参加し、気さくで明るい人柄。
陸前高田市長とも親交が深く、功太さんについて以下のように明かしています。
有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした
気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって
日刊スポーツ 戸羽太・陸前高田市長の談話
朗希さんが小学校3年生の2011年3月11日に東日本大震災が発生。
震災発生当時、朗希さんは陸前高田市内の小学校にいて高台に避難し、兄弟3人は無事でした。
翌朝母親とは再会出来ましたが、海岸近くにあった自宅は津波で流され、父親と祖父母は帰らぬ人に
父親のエピソード① 野球のセンス
震災の前年、バッド納めの日に父兄と子どもたちで一緒に野球をやりました。
佐々木朗希選手の父親である功太さんは、ガッシリした体格で身長181cmと高身長。
スノーボードやバスケットボールなどのスポーツを得意としていましたが、野球経験はゼロでした。
ところが打席に立つと、功太さんは豪快なホームランを放ったそうです。



体格とセンスは父親譲りなのね
父親のエピソード② 一緒にキャッチボール


幼い頃の朗希さんは、いたずらっ子で外を走り回っているようなやんちゃなこどもでした。
父親とは自宅の庭でキャッチボールをするのが日課。
震災のあった当日の朝も、帰ったらキャッチボールしようと約束していたんだそう。
父親の口癖は「朗希は凄い!将来、プロになれる」
父親は朗希さんがプロ野球選手になることを確信していました。
佐々木朗希の兄は電通社員?


兄:佐々木琉希さん(ささき りゅうき)
年齢:朗希の3歳年上
学歴:東北学院大学教養学部
職業:
琉希さんは朗希さんの3歳年上。
父親代わりになり、弟2人の面倒をみていました。
佐々木朗希の名付け親は兄!


佐々木朗希選手の兄である琉希さんの名前は、「琉」の字が好きな陽子さんが命名しています。
そして、朗希選手の名前は当時3歳の琉希さんがつけました。
由来は特撮ドラマ「百獣戦隊ガオレンジャー」のキャラクター「狼鬼(ロウキ)」にちなんでいます。
悪役だけれど圧倒的に強い敵キャラで、かっこよく、名前の響きもいいため採用されました。
佐々木朗希の弟は中央大学で野球選手
佐々木朗希選手の弟は4歳年下の怜希さんです。
弟:佐々木怜希さん(ささき れいき)
生年月日:2005年4月25日
年齢:朗希の4歳年下
学歴:大船渡高等学校 / 中央大学
怜希さんは小学校3年生から野球を始め、大船渡高校1年生の秋に遊撃手としてスタメンに定着。
2年生の秋から投手に転向しました。
高校3年生の夏の岩手大会では、先発投手として登板し、自己最速142キロを記録。
2024年4月に中央大学に入学し、野球部に所属しました。
兄の雌雄が入った白いショルダーバッグや投手用グラブを愛用するなど、怜希さんにとって、朗希選手は優しい兄で憧れの存在でもあります。
佐々木朗希プロフィール
佐々木 朗希(ささき ろうき)
生年月日:2001年11月3日(23歳)
出身地:岩手県陸前高田市
所 属:ロサンゼルス・ドジャース
ポジション:投手
特技:フリースロー
趣味:お笑い、あいみょん
佐々木朗希投手は大船渡高校時代に「令和の怪物」と呼ばれ、最速163km/hを記録し注目を集めました。
2019年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに1位指名で入団。
2021年5月16日に西武戦でプロデビューを果たし、同年5月27日の阪神戦で初勝利を挙げました。
2022年4月10日にはプロ野球史上最年少の20歳で完全試合を達成し、日本記録となる13者連続奪三振とタイ記録の1試合19奪三振を達成。
2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場し、優勝に貢献しました。
千葉ロッテでの通算成績は64試合に登板して29勝15敗を記録しています。
2025年1月18日、23歳でメジャーリーグ挑戦を決意し、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。
契約金は約10億1,600万円で、大谷翔平選手に次ぐ若さでのメジャー挑戦となります。
まとめ|佐々木朗希の母親は住友生命?父親の職業や兄弟の家族エピソードも!
今回は、佐々木朗希選手の母親の職業や、父親、兄弟など家族構成や生い立ちをまとめました。
育ち盛りの男の子3人を抱えて、立派に育て上げた母親の陽子さんは本当に素晴らしいですね!
家族のきずなを大切に、頑張っていって欲しいですね!応援しています。