船井哲良のwiki経歴!ミシン製造から世界のFUNAIへ!家系図も!

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2024年10月24日に、船井電機が破産手続き開始という衝撃のニュースが飛び込んできました。

船井電機と聞いてピンとこなくても、「FUNAI」と聞くと、家電量販店で見かけたことがあると思い当たった方も多いのではないでしょうか。

今回は、船井電機の創業者である船井哲良氏の経歴や、船井電機創業秘話、船井家の家系図などを分かりやすくまとめました。

目次

船井哲良プロフィール

https://www2.funai.co.jp/

船井哲良(ふない てつろう

生年月日:1927年1月24日~2017年7月4日(90歳没)

出身:兵庫県神戸市

学歴:旧制神戸村野工業学校(現:彩星工科高等学校)

1947年:東洋ミシン商会入社

船井哲良さんは、ミシンの卸売業を営んでいた船井家に、4人兄弟の三男として誕生しました。

船井哲良氏の父親は、神戸でミシンの卸売を営み、母は店頭でミシンの小売りをしていました。

戦後社会が始まったばかりの時期で、洋風文化が浸透する頃。

洋裁のミシンを軸として、洋裁学校や工業用ミシンのリースなどの事業展開を思いつき、18歳の船井哲良氏は複数の会社社長という夢に向かって突き進みました。

船井電機創業秘話!ミシン会社から世界のFUNAIへ!

https://www2.funai.co.jp/

船井哲良氏は、旧制神戸村野工業学校卒業後に、当時ミシン販売の国内最大手だった大阪の東洋ミシン商会に入社。

東洋ミシン商会は従業員への厳しい教育方針で有名な会社でした。

3日勤めたらどこの会社でも勤まる

3カ月勤めたらどこの会社へ行っても番頭になれる

3年勤めたら自分で商売できる

船井氏は商売の基本を学ぶため、このスパルタ教育を受けて一人前になりたいという強い志がありました。

4年間勤務し、24歳の時に独立し、船井ミシン商会を創業。

翌年には法人化し、日本製ミシンを海外に輸出し、大成功を収めました。

1959年にはトランジスタラジオの生産を開始し、1961年にラジオ部門を独立させ、船井電機株式会社を設立。

ブラウン管テレビ、DVDプレーヤー、液晶テレビ、プリンターやインターネット情報端末など、主力商品を切り替えながら、激動の電機業界の中で事業を拡大していきました。

中国で生産し北米へ輸出するという、生産拠点を海外に置く手法で、「世界のFUNAI」を構築。

コスト削減と品質管理で、海外製激安商品と互角の商戦を繰り広げました。

1951年:船井ミシン商会創業

1959年:船井軽機工業株式会社に社名変更

1961年:船井電機株式会社設立、代表取締役社長に就任

1999年:大阪証券取引所市場第二部に上場

2000年:東京証券取引所・大阪証券取引所市場第一部に上場

2000年:財団法人船井奨学会設立

2001年:財団法人船井情報科学振興財団設立

2008年:船井電機株式会社会長に就任

2016年:船井電機株式会社相談役に就任

2008年81歳の時に会長に就任し、2016年に相談役へ。

2017年7月4日、肺炎のため90歳で亡くなりました。

受賞歴

2000年 米国ケンタッキー州カーネル称号
2009年 紺綬褒章(以後、2016年まで計7回受章)
2012年 徳島県三好市名誉市民称号
2013年 徳島県表彰(以後、2016年まで計4回受賞)
2014年 京都大学名誉フェロー称号

船井哲良の家系図!

長男の船井哲雄は旭川十条病院院長

https://funaifoundation.jp/foundation/info.html

船井哲雄氏は、船井電機創業者である船井哲良氏の長男です。

2017年7月に船井哲良氏が亡くなり、船井電機株を相続しましたが、会社の運営には関わっていません。

船井 哲雄(ふない てつお

生年月日:1952年7月12日(72歳)

出身:大阪府

1978年3月:旭川医科大学卒業

1978年4月:旭川厚生病院

2003年4月:旭川厚生病院呼吸器外科主任部長

2014年4月:旭川十条病院副院長

2024年現在、同病院院長

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